野菊
『 野菊は永遠に摩訶不思議』山梔子
科学は論理的に説明しきらないと事実と認定されない。例えば『稲』は都道府県
に研究機関があり、品種改良を目的に多額の予算を得て研究が尽くされている。そこから丁寧な情報発信がなされている。
一方で、野草は、一部の園芸花として人気のものは、種苗会社を中心に投資資金を得て、華やかな姿を益々。しかし、そうでないものは、大学の限られた研究者が、細々と取り上げる程度。そこから発信される情報は限られ、しかも、たっぷりとマニアック。よーわからへん。
ここから先は、吾輩の、空想を交えた、野花のロマンス物語。
野草はたくましい。自然の変化、厳しさに、耐え、さらりと交わし、生命を繋ぐ。人に踏まれ、刈り取られながら、また芽を出し、すくすく育つ。
野草は、似た者同士が、愛を交わし、混血児が絶えず誕生する。だから、野に生える草花を明確に分類仕切ることは不可能なこと。チャレンジは永遠の、いたちごっこ。
お金や名誉よりも、己の興味に殉じる、変わり者の科学者。そして、何故だか好き者の植物オタク。彼らは、この果てしのない、おっかけっこを楽しむ。
吾輩たち普通の人々は、まさに、ついてはいけない。
いわゆる『野菊』の世界は、まさしく、これ。
のめりこんでも、正解には永遠に届かない。
つまりは、テキトーに楽しむ。これだよ!
違ってたって構わない。信じる者こそ救われる。
おしまい。
笑顔慈治
ノジギグは希少
ノコンギクとコンギク
ヨメナ


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